臨床心理士 阿部真里子の気まぐれ道草NAVI

所長阿部が折りにふれて感じたこと、考えたことをちょっとした言葉にしてみようと思いつきました。 人生でNAVIが必要だな・・・どうやって生きて行ったらいいの?って思うこともありますが、あんまりがむしゃらに突っ走るばかりでなく、時々ほっと一息ついたり、遠回りになるけれど道草も大事ですよね。道草の途中で、意義深いものや自然に出会ったり、人に出会ったりして、人生が大きく変わることもあるのかも。"カウンセリング"も道草の一つかもしれません。目的地にとらわれない道草的NAVIって面白くありませんか?

第68回(2008.7.21)

 

 昨日、7月20日日曜日に東京であった、催眠の学会研修会に参加しました。連休の休みの一日を潰しても、催眠に関して何かヒントが得られたり、学会員との方の話の中で、いろいろ気づかされたりするので、とても役立ちます。

友人からのプレゼントの馬型のクリップです


 最近、趣味の乗馬で行き詰まっていること(どんな趣味でも行き詰まりはありますね。タップダンスの方でもあります)を、学会の重鎮で、乗馬もやっていらっしゃる先生にお話したら、「楽しめばいいんですよ」と簡単な一言を言っていただき、「なるほどなー」と、思いました。さすが、マスター・ヒプノティスト(催眠療法の大御所)。私はついつい、「がんばって、先に進まなくちゃ」と思ってしまい、貴重な、その馬との時間をゆっくり楽しむということを忘れていました。馬の背中の上で過ごす時間はとても楽しくて、自分が健康で乗馬ができることや、馬が一所懸命に走ってくれるのが愛おしく、うれしくて感謝いっぱい!!なのに。今度乗馬に行ったら、上のクラスに早く上がることより、ひたすら楽しむことにしようと思いました。

 また、別の催眠の講師の先生が「催眠は相互作用だ」ということを講義の中でしきりに話されていましたが、催眠誘導するセラピストと、催眠に入るクライエントさんとの、両者が催眠状態の中にいて共同の空間で作業をしているということでした。

馬との人馬一体と同じように、催眠の空間の中ではお互いの区別がなくなり、融合しているのでしょう。(時々、馬の鞍の上で、人間は刺さないはずの、アブが馬の背中と間違って、私の太股を思いっきり刺すことがあって、「イテー!」と思うけど、そんな時も、痛いながらも馬との一体感を感じます。馬の代わりに刺されて、馬の痛みを共有)

 乗馬のインストラクターの人に、「馬を信じるように」「馬に任せるように」「馬の動きを邪魔しないように」と言われて、馬を信じられた時はうまく乗れるけど、「怖いなー」と一旦、思ってしまうと身体がたちまち硬くなり姿勢が崩れだめになります。先日7月13日放送の世界ウルルン滞在記で、お笑いコンビ「品川庄司」の庄司智春が“究極の肉体芸”といわれるモンゴル国立サーカスを訪ね、馬の曲乗りに挑戦した回で、モンゴルの草原で、3歳か4歳くらいの小さな子供が楽に身体に力が全く入っていないブランブランな状態で、馬に揺られているのを見ました。子どもの頃から、馬に親しみ恐怖など全く感じないのでしょう。 クライエントさんとの関係でも、相手を信じて任せられると、セラピーが違ってくるように思います。クライエントさんの潜在能力を信じて、見守るというか、力を伸ばすというか、そのような姿勢がセラピストには要求されると思いました。

 あんまり押しつけがましい、上から指図するようなセラピーのやり方が私は嫌いなので、出来る限り、クライエントさんの進む方向へ、クライエントさんが自分自身で回復していけるような援助の仕方を心がけています。ソフトに、なんとなく、クライエントさんに、その気になってもらうように、知らず知らずのうちに良くなっていたというような。あくまで本人の意志を尊重したいと思っています。