臨床心理士 阿部真里子の気まぐれ道草NAVI

所長阿部が折りにふれて感じたこと、考えたことをちょっとした言葉にしてみようと思いつきました。 人生でNAVIが必要だな・・・どうやって生きて行ったらいいの?って思うこともありますが、あんまりがむしゃらに突っ走るばかりでなく、時々ほっと一息ついたり、遠回りになるけれど道草も大事ですよね。道草の途中で、意義深いものや自然に出会ったり、人に出会ったりして、人生が大きく変わることもあるのかも。"カウンセリング"も道草の一つかもしれません。目的地にとらわれない道草的NAVIって面白くありませんか?

第95回(2011.1.11)

皆さん、新年おめでとうございます。
お正月はいかがお過ごしでしたか。 

私は、毎年、実家に近い、上野のアメ横にある、「T寺」というところに初詣に行っています(前にもきまぐれナビに書きましたね)。母が生きている時は一緒に行っていたし、父とも行っていましたが、父も年老いて歩くのがおっくうな感じなので、今年は一人で行きました。年々寂しくなりますね。

去年は息子が厄年と言うので、息子と2人で行きましたが、本当に厄年らしく、なんと病気になって、入院し手術したりでたいへんでした。でも、「もっとたいへんなことにならずに、このぐらいで済んだんだ」と思うようにしています。人生いろいろありますね。

美容院に行って、厄年の話をしたら、美容師さんの一人も、24歳の時に、自分は病気にならなかったけれど、ご両親が病気をされてたいへんだった話をされて、本人が強い場合には、厄をまわりに撒き散らしてしまうことがあると話されていました。「厄年」など迷信だから信じないという人もいると思いますが、ライフステージで「男性24歳」というのは心身ともに、「節目の時期」ということなのかもしれませんね。

これも前に書きましたが、T寺さんとの出会いは予備校時代に、千駄木にある鴎外図書館という鴎外の住居跡を図書館にしたところがあって、そこで、私は勉強していましたが、同じ予備校に通う人と友人になり、「浪人したのに、また受験に失敗したらどうしよう~」とすごく不安に思っていたら、その人は有名な私立中高一貫の学校の出身で、小学校時代から受験勉強ばかりで、「受験なら、そこに頼みに行けば良いよ。絶対大丈夫。受かるから。」とその人に言われて行ってみたのがきっかけでした。

私は、幼稚園と大学がカトリック系、高校もプロテスタント(クエーカー)。両親や兄、夫や息子も全員ミッション系(キリスト教系)の大学出身というので、クリスチャンではありませんが、どちらかというと、キリスト教に縁が深く、賛美歌に慣れ親しんで歌っていたり、聖書が自宅にあったりしていました。

しかし、「受験にどうしても成功したい」と思って、参拝に訪れると、イノシシに乗ったインドの戦いの女神様である、「摩利支天」が祭られているというので、その力強くりりしい姿が素敵に思えたので、それ以来、何か願い事があったりした時や、お正月は行くことにしています。 ご祈祷の際に、お腹にズシンズシンと響くような大太鼓の音を聞いていると、軽いトランス状態に自分が入っていくのがわかるし、素直に、「こうなったらいいなあ」という理想や願いが思い描けるので、「自己催眠」に近いものを感じる事ができます。ご祈祷の後の、和尚さんのお話も、1年を真摯な、新たな気持ちで迎えるのにとても役立っています。

高校時代に、クエーカーのF高校では「沈黙の礼拝」というのがあり、その時間は誰も何もしゃべらないで、瞑想や黙想に近いものでしたが、それも、「自律訓練法」や「自己催眠」に相通ずるものと今では思っています。その高校の修学旅行で京都に行った時には、キリスト教の学校なのに、お寺の宿舎に泊まり、朝はおつとめと読経を体験し、その時にもすがすがしい朝の空気の中で、心が落ち着いていくのを感じました。 座禅でも、お祈りでも、もちろん自律訓練法でも、何でも、ゆっくりと静かに座って、心を落ち着ける時間があることが人間にとって、心のバランスを回復するのに、とても大切なのではないかと思いました。

今年も一年、みなさんが、無病息災で、無事に過ごせるといいなあと願っています。

写真説明:去年もクリスマスシーズンにディズニーシーとランドに行って来ました。