臨床心理士 阿部真里子の気まぐれ道草NAVI

所長阿部が折りにふれて感じたこと、考えたことをちょっとした言葉にしてみようと思いつきました。 人生でNAVIが必要だな・・・どうやって生きて行ったらいいの?って思うこともありますが、あんまりがむしゃらに突っ走るばかりでなく、時々ほっと一息ついたり、遠回りになるけれど道草も大事ですよね。道草の途中で、意義深いものや自然に出会ったり、人に出会ったりして、人生が大きく変わることもあるのかも。"カウンセリング"も道草の一つかもしれません。目的地にとらわれない道草的NAVIって面白くありませんか?

第24回(2005.12.25)  <人生の幸せ・不幸せとは?>

みなさん、お元気ですか?今年も残すところ、あと少しになってしまいました。今年はどんな年だったでしょうか?阿部は今までの年にないほど、いろいろと新しいことも体験できましたし、発見も多く、充実した年でした。人脈も増えました。

 人生の「幸福」って何だろう。「不幸」って何だろうと思います。

 人はみんないろいろな運命((宿命)を背負って生まれてきて、また、人生の途上ではいろんな困難に出会って、生きていくわけです。「一生幸せな星のもとに生まれて、何事もつらいことを体験しない人」なんて、たぶん存在しないのではないかな?・・・と思います。

 家族に恵まれず、両親が離婚してしまったという方もおられるし、早くに親を亡くされた方。重い病気にかかってしまった。事故や犯罪に遭遇して大怪我されてしまった。とか、障害をもともと持っていらっしゃる方とか、いろんなつらい体験に遭って、「自分は不幸なんじゃないか」「どうして、自分だけこんな目に遭うんだ」他と比較して「自分だけ不公平だ!」と思われている方も多くいます。

 かつて、闘病生活をしていた頃、阿部もそんな風に思っていました。

 しかし、今考えて見ると、不幸だと思っていた自分も、本当はずっーと幸せだったのかもしれないと思います。たくさんの人に心身両面で、いろいろと支えてもらい、なんとか生き抜いてくることができた。また、いろいろな出会いがあって、いろんなことを体験し、いろんなことを考えることができた。人間として少しは成長できた。つらい体験に出会わなかったら、今の自分はないだろうと思います。

 自分に用意された、宿命をどんなふうに生きぬいていくかが、人間に課せられた、「神様」からの使命なのかなというように思います。そして、不幸の中にも幸せがあり、幸せの中にも不幸があり、一概に幸せ・不幸せと分けることはできないし、その人自身がそれらの出来事をどうとらえるかで変わって来るし、他から見て、どんな状況でも、結局その人が「幸せ」と思えれば幸せなのかなと思います。(「幸せ」という自己暗示を唱え続けると、幸せに思えてくる不思議!間違っても、「自分は不幸者だ」「ついていない」「運が悪い」「敗者だ!」なんて唱えないで!)来年こそは皆様が「シアワセー」と感じられるような年にしたいと思います。