臨床心理士 阿部真里子の気まぐれ道草NAVI

所長阿部が折りにふれて感じたこと、考えたことをちょっとした言葉にしてみようと思いつきました。 人生でNAVIが必要だな・・・どうやって生きて行ったらいいの?って思うこともありますが、あんまりがむしゃらに突っ走るばかりでなく、時々ほっと一息ついたり、遠回りになるけれど道草も大事ですよね。道草の途中で、意義深いものや自然に出会ったり、人に出会ったりして、人生が大きく変わることもあるのかも。"カウンセリング"も道草の一つかもしれません。目的地にとらわれない道草的NAVIって面白くありませんか?

第135回(2016.3.23)「春は別れの季節ですね。出会いの季節でもありますが。」

3月になると、学校や職場環境の変化があり、不安に感じてしまう方も多いのではないでしょうか。

 私もスクールカウンセリングでいろいろな学校へ行きますが、やはり、今年度も同じ学校に派遣されると思うと、すこしホッとするところはあります。しかし、「あの生徒さんは卒業してもうこの学校にはいないのだよな」と思ったりはしますし、先生方も異動があれば、また、違った雰囲気の学校になります。

 

 ニッサンカルロス・ゴーンさんがかつて、「変化を恐れるな!!」と話しているのをテレビで見たことを思い出します。物事は常ならず、絶えず変化していくものだし、それが自分にとって「良い変化」と思っても、後では波乱を巻き起こすこともあります。逆に「悪い変化」だと思っていても、物事が良い展開に導かれていくこともあるわけで、何かが変化したからと言って、すぐに「良し悪しを決めつけるのはやめよう」と思いました。長年、生きてきてやっと、そう思える様になりました。それでもたまには変化に動揺したり、ドギマギしてしまったりすることはありますね。

 

 

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先日、渋谷のセルリアン東急タワーホテルの地下のりっぱな能楽堂に能を見に行く機会に誘っていただきました。表情に変化のない人を「能面のよう」と言ったりしますが、どうして、どうして、能面の中に、激しい感情の動きが見て取れたりして、ハッとしてしまいました。特に般若の面は見ていて激しさを感じさせます。女性の嫉妬の感情を表しているというのもうなずけます。ちょっとした能面の角度の変化などで、微妙な感情の動きを表現し、見ている観客もそれを感じ取っていくという繊細さが日本人の心の中にあるのだと思いました。必要最小限の無駄のない動きや舞いなど、ほれぼれしてしまいます。能の舞台も、西洋の舞台と違い、ほとんど何の大道具や小道具もなく、美しい木の床の舞台があるだけです。また、たまに井戸を表現する白い布で巻かれた木の枠組みが出てきて、そこに、ススキがさしてあって、秋を表現したり、大きな船の表現として、やはり、白い布で巻かれた木で作られた流線形の枠組みが持ってこられたりして、簡素で模式化された舞台はなんとも、見ていて気持ち良いスッキリさを感じました。簡潔な舞台にイメージをこちらで大きく膨らませていくというわけですね。高校生の時には文楽人形浄瑠璃)が好きで、しばしば、亡くなった母親に連れられて行ったりしていました。能の大鼓・小鼓・笛・太鼓などの囃子(ハヤシ)や謡も好きですし、文楽の独特の三味線も心の底に染みる、しみじみした懐かしさを感じます。こういう古典芸能を見た時に、日本人であるというのをひしひしと感じますし、日本人で良かったなと思います。

 我々は洋服を着こなして、西洋の食べ物を食べ、ずいぶん西洋化してしまった部分もありますが、「日本人の心」も大切にしていきたいなと思いました。