臨床心理士 阿部真里子の気まぐれ道草NAVI

所長阿部が折りにふれて感じたこと、考えたことをちょっとした言葉にしてみようと思いつきました。 人生でNAVIが必要だな・・・どうやって生きて行ったらいいの?って思うこともありますが、あんまりがむしゃらに突っ走るばかりでなく、時々ほっと一息ついたり、遠回りになるけれど道草も大事ですよね。道草の途中で、意義深いものや自然に出会ったり、人に出会ったりして、人生が大きく変わることもあるのかも。"カウンセリング"も道草の一つかもしれません。目的地にとらわれない道草的NAVIって面白くありませんか?

第211回(2023.1.11.)「本年もよろしくお願いいたします。」

皆様、今年のお正月はいかがお過ごしでしたでしょうか?

コロナ禍が始まって以来の行動制限なしのお正月ということで、初詣や新年会などに、いらっしゃった方も多かったのではないでしょうか。



 私も元旦は朝早く起きて、富士山頂にご来光が輝く様子をテレビで流していたので、「ダイアモンド富士」を撮影しました。まるで、ダイアモンドのように、キラキラ輝いて見えました。午後は、家族と共に、お節やその他のご馳走で、お祝いをし、久しぶりにゆっくりした時間を過ごしました。



2日には高校時代からの友人と日比谷の帝国ホテルで、ランチをして過ごしました。また、5日には初詣に、御徒町の徳大寺(摩利支天)さんに伺ったりしました。こうやって、いつもと変わらない時間が過ごせることがとても幸せで、大切なことなのだなと、コロナ禍を経て、より実感します。この3年は我慢の連続の期間でしたが、何でもないことを大事なことと実感させてもらえたことは「貴重な体験」だったのかなと思います。

ウクライナの戦争もまだ終わっておらず、今後もどうなっていくのか不安な社会情勢ですが、1日、1日を噛みしめ、味わって生活して行けたらと思います。

アマゾン奥地に「ピダハン族」という800人くらいの民族がいて、「過去」も「未来」も表す言葉がなく、「右」も「左」も「数字」もないとのこと。ただ、今日1日を生きる。魚を自分たちが食べる分だけしか捕らず、保存もしないとのことで、「世界で一番幸せな民族」とのこと。もちろん、うつ病も精神障害もなければ、精神科医や心療内科も必要ないとのこと。宣教師がキリスト教の布教に行ったけれども、その生活の様子を見て、こんな幸せな民族には布教は必要ないとのことで、その人は宣教師を辞めて、その仲間に加わったとのことで、そのことについて書いた書籍がみすず書房から出ており、思わず買ってしまいました。

マインドフルネスで言う「いまーここ」に意図せずに、意識が向いており、過去への後悔や未来への不安も感じずに、現在の楽しさを実感しながら生きていると思われます。数字もないので、人との比較で落ち込んだりすることもなく、お金もないので、貧富の差も感じないことになります。自然の中で生き、自然の中で死んでいく。

なかなか、現代人がそれを真似しようとしても、難しい面があると思いますが、ちょっと、その民族のことに思いを馳せると、今悩んでいることがなんだかばかばかしく感じられるかもしれません。文明は我々人類に恩恵ももたらしましたが、深い葛藤や悩みを作り出した面もあるのではないかと考えさせられました。