臨床心理士 阿部真里子の気まぐれ道草NAVI

所長阿部が折りにふれて感じたこと、考えたことをちょっとした言葉にしてみようと思いつきました。 人生でNAVIが必要だな・・・どうやって生きて行ったらいいの?って思うこともありますが、あんまりがむしゃらに突っ走るばかりでなく、時々ほっと一息ついたり、遠回りになるけれど道草も大事ですよね。道草の途中で、意義深いものや自然に出会ったり、人に出会ったりして、人生が大きく変わることもあるのかも。"カウンセリング"も道草の一つかもしれません。目的地にとらわれない道草的NAVIって面白くありませんか?

第11回(2005.7.4.)

みなさん、こんにちは。 クライエントのYさんから、差し支えない範囲で、阿部が「子どもの頃に考えていたこととかを是非書いてください!」というリクエストをいただいたので、ちょっと書いてみますね。

 小学校低学年の頃(小6で病気になって入院する前ですが)、東京四谷のあたりを家族といっしょに自動車に乗って通っていて、建物や長く続く塀が気になったので「ここは何なの?」と尋ねたら、J大学(阿部の母校)の建物だとのこと。「ふーん。私ここに入る!!」とか言って家族に笑われたのが鮮明な記憶となって蘇ってきました。そこがどんな大学なのか、何の知識もなく、ふと思って口にした言葉。その後はすっかりそのことを忘れてしまいました。

 しかし、高校3年になって、心理学科のある大学ということで、調べたら、J大学も候補に。現役では受からなかったけれど、1年浪人後に入学し、そこで勉強することになって。

 何気なく思ったことが実現していることが多くて、怖いような感じもしています。これも暗示効果なのかもしれません。幼い頃は、「自分には無理だ」とか、「できない」とか余計なこと考えないで、無理せず素直に思えるので、それが自己暗示になりやすいのでしょう。その後、小6で大病で一命を取り留めて、何年も闘病生活を強いられて、勉強も思うように出来なかったことを考えると不思議な気がしています。中学1年~2年は入退院や自宅療養を繰り返しほとんど行ってなかったので、公立高校を受験できず、高校受験も単願でF私立女子高校へ行ったのですが、今、思うと、かえってそれも良かったのかな?そこが英語の勉強をしっかりさせる高校だったので、J大学入学に役だったのかもしれません。

 「人間万事塞翁が馬」と言いますが、私の人生にもあてはまります。病気にならなかったら、今、カウンセラーをしているかどうかわからないし、その後のいろいろな人との出会いもすべてなかったことになる。

 97歳で亡くなった父方の祖母が「神様は、あんじょうしてくださる(うまくしてくださる)」と関西弁でよく言っていましたが、その時はとうてい悪いこととしか思えなかったような出来事が、後ではすごいこと、価値のあること、財産や宝に変貌するのを不思議に思って振り返っています。

 かつて指導していただいた、精神科医神田橋條治先生も「マイナスの札がある時に、パタパタとプラスの札に変わっていく」とおっしゃっていたことも思い出されます。人生ってとても不思議です。