先日、テレビを見ていましたら、独り暮らしの上品な老婦人が素敵な楽しみ方をされていて、ホォーと感心しました。
食事の時に、どこにでもある小皿に、一皿に一品ずつ載せてたとえば、卵焼きを一皿、いくらを一皿、おひたしを一皿にたくさん並べて(これは買ってきた出来合いの物でもいいそうです)、きれいなテーブルクロスを敷いて、キャンドルを点けて、食事されていました。見た目がとても華やかで楽しそう。人を呼んだ時はもちろん、一人で食事をするときも必ず、こんな食事の楽しみ方をされているとのこと。
私たちは自分が楽しく生活できないのは、誰かのせいだと、まわりに責任を転嫁しがちですが、自分でちょっとした工夫で、日々の生活を楽しめるのかな?と思いました。
お金がないから、時間がないから、暇がないから、○○できないという言い訳で、自分自身で楽しみを創り出すことを考えないから、生活が楽しくなくなってしまうのかも・・・ふと思いました。
誰かが自分の生活を楽しくしてくれることを待っていても、何も起こらないかもしれないし、たまたま、楽しいことが起こったとしても、また、いつそれがあるかわからないし、そうしてくれないまわりの誰かへの不満が募ってしまう。
そうでなくて、自分なりの工夫で、小さな楽しみを積み重ねていくことが日々の生活を豊かにするのかな?現状に感謝するということも必要かも。今ないことに不平不満を感じるだけでなく、今あること、あたりまえに思っていることを見直して、ありがたいと思うことも重要かもしれません。
阿部は高校の修学旅行で行った、京都の竜安寺(石庭で有名な)の裏庭にある「つくばい」(水を入れてある石製の入れもの)に、「吾、唯足を知る」というのが下に描いたように、彫ってあって、その言葉をとても気に入っていましたが、つい忘れて不平不満を抱きがち。時々思い出さないといけないな・・・と思いました。
こんな風に真ん中の水の入れてあるところの
口という字を使って「吾、唯足を知る」を表現。